« 日本民族音楽、中国民族音楽の“交響化”は必要か | トップページ | プラスチック・ノギスで横笛測定 »

2007年6月29日 (金)

陰音階は「暗い」という誤解:和音階の話

「篠笛など、日本の伝統音楽の曲は、暗い曲が多い」という声を、よく聞きます。

僕も、常々そう思っています。
「明るい曲」の需要は大きいと思うので、創作活動に取り掛かれる環境になったら、そういう曲をたくさん作りたいです。

しかし、「暗い曲が多い」のじゃなくて、「暗い雰囲気を感じてしまう」というのが真相だろう、と僕は考えます。

「陰音階」(都節音階)の曲を聴いて「暗い雰囲気」に聞こえるのは、西洋音楽の「短調」を聞き続けて洗脳されているからなんですよ。

だって、「とおりゃんせ」「うさぎうさぎ なにみてはねる」の歌詞を読んでみてください。暗い曲じゃないです。子供が無邪気に歌う、「楽しい歌」なんです。

【陰音階の例】「とおりゃんせ」「うさぎうさぎ」
ミ ファ ラ シ ド ミ (数字譜 3 4 6 7 1 3)
ラ シ♭ レ ミ ファ ラ (数字譜 6 7♭ 2 3 4 6)

逆に「陽音階」系のほうが、歌詞が暗い曲が多かったりします。
たとえば「竹田の子守唄」「赤とんぼ」「里の秋」。

「竹田の子守唄」は子守の辛さを歌っていますし、
「赤とんぼ」は、自分をおぶってくれた「ねえや」には、もう会えません。
「里の秋」では…父さんは…戦争で南の国へ出征して…(涙)

【陽音階の例】「竹田の子守唄」
ラ ド レ ミ ソ ラ (数字譜 6 1 2 3 5 6)
レ ファ ソ ラ ド レ (数字譜 2 4 5 6 1 2)

【ヨナ抜き長音階の例】「赤とんぼ」「里の秋」
ド レ ミ ソ ラ ド (数字譜 1 2 3 5 6 1)
ファ ソ ラ ド レ ファ (数字譜 4 5 6 1 2 4)

※参考リンク:「ごんべ」さんのサイト
なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡
童謡・唱歌などのメロディーをMIDIで聞くことができます。
歌詞も載っています。
「どんな曲だっけ?」と思い出したいときにどうぞ。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html

「陰音階」「陽音階」という言葉自体が、ちょっとおかしいんですね。
西洋音楽導入以前の日本人の民族的感性とは逆になっているんです。

ですから、小泉文夫先生は、「陰音階」を「都節音階」と呼び、「陽音階」を「民謡音階」と呼ぶことを提唱されていたわけです。
(小泉文夫先生は昭和の方ですが、ずっと昔、明治時代の上原六四郎先生は「陽音階」を「田舎節」と名づけられました。私は、「田舎節音階」という言葉のほうが良いと思います。)

なぜ、現代の日本人が「陰音階」を「暗い」と感じるのか、というと…
映画、TVドラマ・アニメ、オペラや演劇などのBGMで、暗い場面・厳しい場面で短調の曲が流れるパターンが多いのが、一番の犯人だと思います。
昭和期以降の日本では、「短調・マイナー系コード」=「悲しみ・シリアスな場面」という固定感性が、常識化しているようです。
(あえて、その「常識」の反対、たとえば悲しい場面に長調の曲を使って効果を上げている事例もありますが、それは例外。)

では、「陰音階・短調」=「都風の、華やかな曲」という民族的感性から、「陰音階・短調」=「悲しい曲」という西洋音楽的感性に切り替わったのは何ゆえなのか、歴史的に何年ごろなのか、ということを考えてみましょう。

江戸時代の三味線唄(地唄、長唄など)、民謡は、「陰音階」(都節音階)=「都風の、華やかな曲」が普通です。
この傾向は、明治・大正時代のお座敷端唄・小唄にも引き継がれていると思います。

一方、「文部省唱歌」では、西洋音楽の作曲技法を学んだ作曲家によって、「短調による楽しい歌」「短調による悲しい歌」の両方が作られています。おそらく、「短調=悲しい」という感性が受容され始めた「第1の転換点」は文部省唱歌でしょう。
作曲家自身、自分の中にある民族的感性と、西洋音楽的感性の狭間で悩み続けた時代であったのだろうと想像します。

しかし、軍歌の時代には、「短調による勇ましい歌」が主流だったようですし、戦後の開放的文化の代表のように言われる「青い山脈」も、「短調による明るい歌」です。つまり、昭和中期までの大衆の間では「陰音階・短調」=「都風の、華やかな曲」という感性が、根強く残っていたのでしょう。
演歌・歌謡曲の時代になっても、まだ「短調による明るい曲」が作られ続けたようです。

第2の転換点」、つまり「短調=悲しい」という感性が一般大衆に広まったのは、フォークソング時代だと思うのですが、このあたりは詳しくないので、皆さんのご意見を伺いたいところです。
想像される要因としては、戦後の音楽教育を受けた団塊世代西洋ポピュラー音楽に熱中するようになったこと、が大きいと思います。

ビートルズ来日時にグループサウンズを演奏していたバンドが、「大衆に受けるために、民謡音階の曲を作れ」と要求されたけれども、「そんなダサい曲は作りたくない」と反発した…という記事を新聞のコラムで読みました。
団塊世代の「若い音楽家」は西洋音楽的な感性を持っていたが、団塊世代の聴衆と、団塊より上の世代は日本民族音楽的な感性を持っていたことが推察できます。

さて、現代の我々の感性が「短調=悲しい」という固定観念に洗脳されているという話に戻りましょう。

民族音楽評論家が、楽しく踊る民謡に対して「哀愁を帯びた旋律…」と書いていたり、作曲家が随筆で「長調で書かれた唱歌が勝手に陰音階に変えて歌われているのは歌詞の意味を理解していない。ケシカラン」と書いていたりするのを読むと、音楽の専門家ですら、自分の感性が西洋音楽(近代西欧音楽)に洗脳されているという事実にまったく気付いていないことが分かります。

とはいっても、音楽的感性を組み立てなおすのは、難しいですからねえ。
僕自身、陰音階の長唄・端唄を聴いて、本来の「艶やかで華やかな雰囲気」を感じられるようになるまでに、3年くらいかかりました。

やっぱり、洋楽的感性の「現代の普通の日本人」が聴いても「明るい曲」に聞こえるような、長調・陽音階の曲を作る必要がありますね。

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136227/15591874

この記事へのトラックバック一覧です: 陰音階は「暗い」という誤解:和音階の話:

» [思い付き][wiki録] [galaQta]
かつて楽器を習ってはいたものの、俗に言う「耳コピ」で弾いてきたので、未だに楽譜がきちんと読めない(初見で演奏できない)。さすがにこのままでは音楽好きと名乗るのもおこがましく思えてきて、音楽検定の4級に挑むことにした。 動機は、バイオリンを習い始めた6歳ころ... [続きを読む]

受信: 2007年11月27日 (火) 18時57分

コメント

コメントを書く