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2007年6月30日 (土)

プラスチック・ノギスで横笛測定

横笛自作に「ノギス」は便利ですが、金属製ノギスでは竹や漆・塗料の表面を傷つけてしまう心配があって、安心して使えません。
特に、他の方の笛を測らせていただくときには、金属ノギスを出すわけにはいきませんね。

そう思いつつ、百円ショップを回っていたら、プラスチックノギスを発見!

Calipers1
上が篠笛(唄用8本調子)、中がプラスチックノギス、下が金属性ノギスです。

Calipers2 
歌口の口径を測っているところ。
篠笛の場合、歌口・指孔の縁を塗装するのが普通なので、金属性ノギスを当てるときは傷つけてしまいそうでヒヤヒヤものです。
(僕が作るときは、普通のプラスチック定規で測っていました)

Calipers3 
分かりにくいかもしれませんが、ノギスのお尻部分についている「深さ計測用の棒」で歌口部分の管の厚みを測っています。

正確さに関しては、金属製のほうがずっと上でしょうけど、塗装面を傷つける心配がほとんどなくなるのは良いですね。

ちなみに、今回僕が購入したのは「Seria」犬山店でした。
プラスチックノギスが2種類ありました。
http://www.seria-group.com/home.html

このプラスチックノギスの製造元は、新潟の「エコー金属(株)」ですが、個別注文はできませんので、購入はお近くの百円ショップでどうぞ。

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2007年6月29日 (金)

陰音階は「暗い」という誤解:和音階の話

「篠笛など、日本の伝統音楽の曲は、暗い曲が多い」という声を、よく聞きます。

僕も、常々そう思っています。
「明るい曲」の需要は大きいと思うので、創作活動に取り掛かれる環境になったら、そういう曲をたくさん作りたいです。

しかし、「暗い曲が多い」のじゃなくて、「暗い雰囲気を感じてしまう」というのが真相だろう、と僕は考えます。

「陰音階」(都節音階)の曲を聴いて「暗い雰囲気」に聞こえるのは、西洋音楽の「短調」を聞き続けて洗脳されているからなんですよ。

だって、「とおりゃんせ」「うさぎうさぎ なにみてはねる」の歌詞を読んでみてください。暗い曲じゃないです。子供が無邪気に歌う、「楽しい歌」なんです。

【陰音階の例】「とおりゃんせ」「うさぎうさぎ」
ミ ファ ラ シ ド ミ (数字譜 3 4 6 7 1 3)
ラ シ♭ レ ミ ファ ラ (数字譜 6 7♭ 2 3 4 6)

逆に「陽音階」系のほうが、歌詞が暗い曲が多かったりします。
たとえば「竹田の子守唄」「赤とんぼ」「里の秋」。

「竹田の子守唄」は子守の辛さを歌っていますし、
「赤とんぼ」は、自分をおぶってくれた「ねえや」には、もう会えません。
「里の秋」では…父さんは…戦争で南の国へ出征して…(涙)

【陽音階の例】「竹田の子守唄」
ラ ド レ ミ ソ ラ (数字譜 6 1 2 3 5 6)
レ ファ ソ ラ ド レ (数字譜 2 4 5 6 1 2)

【ヨナ抜き長音階の例】「赤とんぼ」「里の秋」
ド レ ミ ソ ラ ド (数字譜 1 2 3 5 6 1)
ファ ソ ラ ド レ ファ (数字譜 4 5 6 1 2 4)

※参考リンク:「ごんべ」さんのサイト
なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡
童謡・唱歌などのメロディーをMIDIで聞くことができます。
歌詞も載っています。
「どんな曲だっけ?」と思い出したいときにどうぞ。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html

「陰音階」「陽音階」という言葉自体が、ちょっとおかしいんですね。
西洋音楽導入以前の日本人の民族的感性とは逆になっているんです。

ですから、小泉文夫先生は、「陰音階」を「都節音階」と呼び、「陽音階」を「民謡音階」と呼ぶことを提唱されていたわけです。
(小泉文夫先生は昭和の方ですが、ずっと昔、明治時代の上原六四郎先生は「陽音階」を「田舎節」と名づけられました。私は、「田舎節音階」という言葉のほうが良いと思います。)

なぜ、現代の日本人が「陰音階」を「暗い」と感じるのか、というと…
映画、TVドラマ・アニメ、オペラや演劇などのBGMで、暗い場面・厳しい場面で短調の曲が流れるパターンが多いのが、一番の犯人だと思います。
昭和期以降の日本では、「短調・マイナー系コード」=「悲しみ・シリアスな場面」という固定感性が、常識化しているようです。
(あえて、その「常識」の反対、たとえば悲しい場面に長調の曲を使って効果を上げている事例もありますが、それは例外。)

では、「陰音階・短調」=「都風の、華やかな曲」という民族的感性から、「陰音階・短調」=「悲しい曲」という西洋音楽的感性に切り替わったのは何ゆえなのか、歴史的に何年ごろなのか、ということを考えてみましょう。

江戸時代の三味線唄(地唄、長唄など)、民謡は、「陰音階」(都節音階)=「都風の、華やかな曲」が普通です。
この傾向は、明治・大正時代のお座敷端唄・小唄にも引き継がれていると思います。

一方、「文部省唱歌」では、西洋音楽の作曲技法を学んだ作曲家によって、「短調による楽しい歌」「短調による悲しい歌」の両方が作られています。おそらく、「短調=悲しい」という感性が受容され始めた「第1の転換点」は文部省唱歌でしょう。
作曲家自身、自分の中にある民族的感性と、西洋音楽的感性の狭間で悩み続けた時代であったのだろうと想像します。

しかし、軍歌の時代には、「短調による勇ましい歌」が主流だったようですし、戦後の開放的文化の代表のように言われる「青い山脈」も、「短調による明るい歌」です。つまり、昭和中期までの大衆の間では「陰音階・短調」=「都風の、華やかな曲」という感性が、根強く残っていたのでしょう。
演歌・歌謡曲の時代になっても、まだ「短調による明るい曲」が作られ続けたようです。

第2の転換点」、つまり「短調=悲しい」という感性が一般大衆に広まったのは、フォークソング時代だと思うのですが、このあたりは詳しくないので、皆さんのご意見を伺いたいところです。
想像される要因としては、戦後の音楽教育を受けた団塊世代西洋ポピュラー音楽に熱中するようになったこと、が大きいと思います。

ビートルズ来日時にグループサウンズを演奏していたバンドが、「大衆に受けるために、民謡音階の曲を作れ」と要求されたけれども、「そんなダサい曲は作りたくない」と反発した…という記事を新聞のコラムで読みました。
団塊世代の「若い音楽家」は西洋音楽的な感性を持っていたが、団塊世代の聴衆と、団塊より上の世代は日本民族音楽的な感性を持っていたことが推察できます。

さて、現代の我々の感性が「短調=悲しい」という固定観念に洗脳されているという話に戻りましょう。

民族音楽評論家が、楽しく踊る民謡に対して「哀愁を帯びた旋律…」と書いていたり、作曲家が随筆で「長調で書かれた唱歌が勝手に陰音階に変えて歌われているのは歌詞の意味を理解していない。ケシカラン」と書いていたりするのを読むと、音楽の専門家ですら、自分の感性が西洋音楽(近代西欧音楽)に洗脳されているという事実にまったく気付いていないことが分かります。

とはいっても、音楽的感性を組み立てなおすのは、難しいですからねえ。
僕自身、陰音階の長唄・端唄を聴いて、本来の「艶やかで華やかな雰囲気」を感じられるようになるまでに、3年くらいかかりました。

やっぱり、洋楽的感性の「現代の普通の日本人」が聴いても「明るい曲」に聞こえるような、長調・陽音階の曲を作る必要がありますね。

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2007年6月28日 (木)

日本民族音楽、中国民族音楽の“交響化”は必要か

近年、中国の民族音楽の器楽合奏が日本でブームになっていますよね。
女子十二楽坊だけでなく、いたるところで!!!
特に二胡(アル・フー、にこ)は、教則本の数を見るだけで分かるくらいのブーム。
もう大正琴三線を抜きそうな勢いに思えます。

しかし、当の中国人は、器楽合奏&オーケストラ化を、どのように考えているのでしょうか?

興味深い記事を見つけました。

音楽茶話室~中国音楽に関するトピックス
http://home.inet-osaka.or.jp/~officea/ongakusawa3.html

僕の目を引いた記述は、
「江南絲竹の曲目は多いけれども長期にわたって新曲が出現していない
書道の筆の運びの法則は二胡の持ち方や運弓方法を身につけるのに役立った」
「上海で楽器を学んでいる子供は20万人を下らず、ピアノだけでも10万人くらいいるという」
「今回の競技会では国内外の著名な琵琶演奏家、作曲家、指揮者、理論家に評決委員会を担当してもらい、競技の専門性、権威を保ち、公正な評価を図るものとなる。」
「中国民族音楽の“交響化”は必要か」

特に、「“交響化”は必要か」という課題は、日本の伝統音楽(純邦楽・和楽器)が試行錯誤を繰り返してきた課題でもあります。
1964年創設の「日本音楽集団」が、戦後日本における和楽器オーケストラ(邦楽合奏団)の先駆であり、1970年代以降、プロ・アマチュアの邦楽合奏団も多数結成されています。
そして、「分野内での名曲」も多数生まれましたが、いまだ、一般市民の関心を引くほどの発展には至っていません。

鬼太鼓座」「鼓童」による「和太鼓集団」、そして「ニューエイジ雅楽」の「東儀秀樹」氏は、一般への知名度も高く、商業的にも成功しているようです。

しかし、琴(箏)・尺八・三味線を主体とした「現代邦楽」「邦楽合奏団」(和楽器オーケストラ)では、お客さんは身内ばかり。閑古鳥が鳴いているのが現状です。

日本の場合、明治維新・太平洋戦争敗戦という2大ショックのため、日本固有の文化を否定する心理が強く働いているのが明らかなのですが、中国の場合、戦争勝利国ですから、自国独自の文化には誇りを持ち続けているはず。

日本よりも郷土愛が強いであろう中国において、「民族音楽の“交響化”」が、どの程度成功しているのか。もし成功しているのであれば、その秘訣を学びたい。大いに興味があります。

(※「愛国心」という言葉は誤解を招くため、伝統文化の話題では使わないほうがよいでしょう)

中国人のパワーには脅威を感じることもありますし、今後、世界の中で、「日本の伝統音楽」が「中国の伝統音楽に似たもの」として扱われるような時代が来るかもしれません。
(観光業界では、すでに「日本」は「中国の隣」くらいの認識かも?)

しかし、「西洋音楽に対抗して伝統音楽の継承発展を行う」という「共通の課題」に対しては、隣国同士、知恵を出し合って行きたいものですね。

その意味において、下記の3団体には、特に注目しています。

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2007年6月27日 (水)

正倉院のハープ「箜篌」(くご)

僕は、「竪琴」に憧れて音楽を始めたので、ハープ、琴(箏)、ライアー(竪琴)の類には、強く惹かれます。

(正確に言うと、小学生の頃にピアノを習っていましたので、「再開した」ことになりますが)

こういう、開放弦をたくさん張るタイプの楽器は、日本の伝統楽器としては、琴(いわゆるオコト、箏)のように、地面に伏せた丸太の上に、「水平に弦を張るタイプ」しか、現存しませんね。

一方、西洋では、支柱を立てて、「垂直に弦を張るタイプ」の「ハープ」が発達しました。
(サルテリー、カンテレなど、琴に近い水平弦タイプもありますが、民族楽器・古楽器として扱われています。)

ところが、正倉院には、垂直に弦を張るタイプの竪琴「箜篌」(くご)が所蔵されており、しかも西洋のハープとは全く異なる形状で、現存するものとしては世界唯一なのだそうです。

正倉院の「箜篌」(くご):模造品
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2005toku/mozou/mozou-08.htm

※現存する楽器の中では、ミャンマーの民族楽器「サウン」(ビルマの竪琴)に、似ています。
http://www.asahi-mullion.com/mullion/column/w-music/050203index.html
http://www.yangonow.com/jpn/culture/traditional_music/harp.html

ちなみに、この「箜篌」(くご)タイプの竪琴は、アジア各国の壁画によく出てくるにもかかわらず、どの国でも断絶してしまったので、演奏方法は誰にも分からないそうです。
日本に伝来した当初(奈良時代?)には、雅楽の一員として演奏されていたようなのですが…

箜篌(くご)と排簫(はいしょう)~断絶した雅楽器(竹友会さんのHPより)
http://www.chikuyusha.jp/syakuhatisyouki/44kugotohaisyou/TOPSeisensyouHekiga.html

その、幻の楽器「箜篌(くご)」を、楽器としての演奏に耐えるものとして「復元」し、ハープ奏者が「再現演奏」するという試みが行われており、数年前に話題になりました。

「箜篌」(くご)の復元演奏を試みていらっしゃるハープ奏者
「斎藤 葉」さん
http://www.yo-saito.com/ca_03.html

で、それはそれで面白い試みではある、と思っていたのですが。

中国民族楽器のお店のHPを見て、仰天!!!

  「箜篌」(クゴ)(ハープ)
  価格:294,000円
  歴史の長い中国楽器です
http://www.chinamusic.gr.jp/catalog/kuko.html

日本の歴史家が正しいのか、中国人が正しいのか、よく分かりませんが、

世界は面白い!

と思いました。

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2007年6月26日 (火)

少子化問題を「過激」に考えてみる

「少子化」つまり出生率低下が、政治的な『問題』なのかどうか、について色々議論があります。
「少子化」への『対策』の具体案についても、多くの議論があります。
私自身としても、色々思うところがありました。

ある知人の文章に刺激を受けましたので、僕もちょっと書いてみようと思います。

僕は、問題の全体像を把握したいときは、なるべく過激な思考パターンを何種類も試すことにしています。

例えば、

A.少子化は『日本という国家』の存亡の危機である。

日本の国力維持のために、日本の人口を維持、あるいは増やしていく必要がある。
◆ 子供がいる世帯に対して所得税優遇、助成金など。
◆ 育児休暇・育児中はパートタイム出勤に切り替え
◆ 保育所の増加、助成金、税制優遇措置
◆ 産科・婦人科の医師・看護師・職員の待遇を抜本的に改善
◆ 労働人口維持のために、外国人労働力を歓迎すべきだ。
(※A.の立場の人の間でも、具体的な対策に関しては議論百出ですので、ここの案はあくまで「例」です。)

B.少子化は成熟化を目指すべきというメッセージだ。

日本の経済的発展はピークを越えた。これからは、少しずつ人口減少し、世界の中での日本の存在感は小さくなっていく。
若返ろうとしても無意味なので、少子化『対策』を行う必要は無い。
「小さくても個性的で魅力的な文化を持つ国、日本」を目指して、文化成熟の方向に国力を用いるべきだ

C.少子化は自然の摂理である。そんなささいなことを気にしても仕方ない。

人類は、すでに「ゆるやかな絶滅への道」を走っている。
最後に一花咲かせるもよし、身辺整理して静かに死を待つもよし。

皆さん、どう思われますか?


私は、科学者としてはB.と考えますが、政治的市民としてはA.と考えます。

その前提で、やはり「子供を持つことが幸せに感じられる社会」を取り戻すため、具体的な政治決断を行ってもらいたいと希望しています。

蛇足ですが…
「子供・若者が少ない社会は、子供を持たない世帯の人にとっても、住みづらい社会である」ということは、お分かりいただけるでしょう。

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2007年6月25日 (月)

「盲信しない」という原則

テレビを見ていたら、中欧の古い町で、コウノトリ保護のため、コウノトリが巣作りできる台を屋根の上に作る運動が紹介されていました。
古い町並みと相乗効果で、観光名物にもなっているそうです。

しかし、コウノトリのエサ場は、近隣の休耕地(湿地帯のようでした)。
それが、近年のバイオ燃料ブームで、「燃料にするための穀物」(菜種、ひまわり、小麦)の栽培が盛んになり、休耕地が減っているのだそうです。
(エサ場が少ない→子育て、渡りができない→コウノトリ減少、絶滅の危機)

「コウノトリの保護」と、「バイオ燃料推進」は、両立できない。
しかし、どちらも「正しい」とされているので、決着は付きません。

こういう事例を見ると、「常識的に正しい」ことに関しても、「盲信してはいけない」のだと思い知らされます。

でも、「盲信しない」ということと、「すべてのことは、疑ってかかるべし」というのとは、ちょっと違うんですよねえ。
懐疑論者の文章を読むと、もはや「犯人捜しをする知的快感」が目的なのじゃないかなあという印象を受けることがあります。。。

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2007年6月22日 (金)

サボテン開花!赤と黄色

愛知県に引っ越してきて、2ヶ月が過ぎました。
先週からは市民会館のスポーツジムに通い始めたり、ようやく土地に慣れてきた感じがします。
体調も良い感じが続いておりますので、久々にブログ更新です。

沖縄は梅雨が明けたとTVで言っていましたが、梅雨入りしているはずの愛知は全然雨が降りませんね。明日は雨という予報ですが…

Yellow_flower
さて、我が家のサボテンが2種類、花をつけました!
たしか1昨年の春ごろ、頑張って大鉢に植え替えたものなので、
嬉しさも2倍以上です。

それにしても、サボテンのバイオリズムって、謎です。
この赤いほうの花が咲いたのは3年ぶりくらい、黄色いほうも2年ぶりくらいです。

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