笛に精神論は「必要」
そこから先は精神的な言葉を用いないと表現できない要素が たくさんあって、そういう要素は単純な科学的分析的思考では分からないし身につきませんよね。
私の友人が「笛が上手い人は音と音の間に何かが宿っている」とよく言うのですが、
さらに、「正確」であるべき「基本要素」(拍子、音程、音色、強弱、表情・アーティキュレーション)が逆に精神状態や感情の影響を受けて揺らぐという面もありますから、
「心を込めて吹く」
「大地や大気・自然・神仏と一体になるように我を忘れて吹く」
といった「精神論」は避けて通れない、むしろ必要で有用なものだと思っています。
そういえば、箏(琴)を弾く友人に、箏の音色のサンプルを録音させていただいたときの話を思い出しました。
私「単音を弾いてください」
箏弾きさん「単音っていうのは恐ろしいんだよー、
楽器の状態だけじゃなくて姿勢とか気持ちとか
全部表に出てきちゃうんだよー」
それまでの私は、弦楽器というのは、ある程度、誰が弾いても同じ音が出るものだと勘違いしていたんですね。
大変失礼なことを考えておりました…。
本題に戻ります。
精神的なものと音楽は不可分。
では、どういう境地を目指すべきでしょうか。
尺八の世界には「一音成仏」という言葉があるそうです。
尺八が仏教的な「悟り」を目指すとすれば、
篠笛(特に祭囃子)は神道的なハレの境地、
神霊との融合を目指すものなのでしょう。
でも、私にはその境地は遥かに遠いので、もっと即物的・科学的・分析的な言葉も使って
基礎固めをできないだろうかと、色々な方面からのアプローチを考えています。
(たとえば呼吸法や顔の表情と精神状態の関係です)
「心身の状態を、音楽演奏に適した状態に近づけて行く」
「音楽演奏によって、心身の状態を健康に近づけて行く」
…卵が先か、鶏が先か、という話になりそうですね。
いずれにせよ、精神的なものをコントロールするためには、教養(特に語彙)や人生経験、音楽経験が、もっともっと必要だなあと痛感します。
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